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文明の憂鬱
2006.12.18 Monday | 平野啓一郎
「ニーチェが神の死を宣告したのは、
二十世紀を目前にしてのことであったが、
この宣告は、百年ほど前から既に瀕死の状態であった神に、
最終的に臨終の判断を下したという勇気に於いて
偉大であったと言うべきである。
十九世紀を通じて、神はずっと植物状態にあった。
ニーチェの業績は、善くも悪くも
そのチューブを外したということである。
臨終の床に居合わせた者達は、
或いは以前からそれに気付いていた者達は、
その空隙に悩まねばならなかった。
絶対者は消えた。しかし、不安は残った。
寧ろ一層強くなりさえした。
その空隙を満たしてくれるものこそが、科学であった。
科学は、凡そ信仰の対象となったと言っても過言ではない。
自然の神秘について、人間の不思議について、
説明してくれるのは最早神学ではなかった。科学であった」
二十世紀を目前にしてのことであったが、
この宣告は、百年ほど前から既に瀕死の状態であった神に、
最終的に臨終の判断を下したという勇気に於いて
偉大であったと言うべきである。
十九世紀を通じて、神はずっと植物状態にあった。
ニーチェの業績は、善くも悪くも
そのチューブを外したということである。
臨終の床に居合わせた者達は、
或いは以前からそれに気付いていた者達は、
その空隙に悩まねばならなかった。
絶対者は消えた。しかし、不安は残った。
寧ろ一層強くなりさえした。
その空隙を満たしてくれるものこそが、科学であった。
科学は、凡そ信仰の対象となったと言っても過言ではない。
自然の神秘について、人間の不思議について、
説明してくれるのは最早神学ではなかった。科学であった」
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